仮面福祉会

できることを切り売りしています

日常の無駄が憎くてしかたがない

降りたい駅に止まらない電車に乗ってしまい目的地が遠ざかっていく哀しみ。

かわいいルームウェアというのは、人に見られないからかわいい必要がないのにかわいいという気概が既にかわいい。というのを読んで、そうかそういうことか、と思った。
寒い家に引っ越してきた昨年、冬への備えにフードのついた白いモコモコの羽織ものを買った。夏に参加した踊りの舞台で、とにかく着込んで着ぶくれお化けになるよう指示があったのでモコモコを持っていったら、そのルームウェアを持っているという事実がかわいい、と言われてちょっと意味がわからなかったのだ。
モテたいと思ったら自分の着たいものよりも人に好かれる出で立ちでおれ、というのがはじめの一歩であるようだが、私は一時たりとも自分の納得がいかないものを身に付けたくないので、逆に人目があるなしの影響にピンときていなかった。
「汚れてもいい格好で来てください」というのも困る。そんな捨て服みたいなもの、みんな持ってるもの?

仕事が暇なので周りの人たちが話していることが気になって仕方がない。昨日の会議もそうだが、何十分も手を変え品を変え表現を変え同じ話をし続けている人々のなんと辛抱強いことよ。段々回りくどい表現とか慇懃無礼なほどの敬語とか言葉の端々が気になってくる。ツイッターでいちゃもんつけるのを生き甲斐にしてる暇人と同じだ。せめて言わないで耐える。BBCのシャーロックが次々に客を捌いていく様を思い出してあのようになりたいと願う。うんざりだ。何もかも暇なのがいけない。