仮面福祉会

できることを切り売りしています

代謝する世界

夜更かしをしているわけでもないのに、平日も休日も常に眠い。眠い眠いと思いながらしたくをする。お茶を入れた水筒が、当たり前に重い。

 

三越前で母と待ち合わせ、弁当を買って歌舞伎座へ。完全にハレの日の行為だが、母はいつも通り薄汚いバッグをたすき掛けにしている。

 

心待ちにしていた猿若祭で、昼夜通しで見る。

久しぶりに定番の演目揃いで嬉しい。しかし定番は大抵ひどい話だ。身勝手な男のせいで女が可哀想な目に遭ってばかりいる。先日たまたまバラエティで見た与謝野晶子が、女子の自立を!と発していたのを思い出す。あと、惚れの力が強すぎてもはや呪い。

ひでえ話だが、古典は役者の魅力が光るから脈々と続いている。特に籠釣瓶が、勘九郎七之助も初めてと思えない安定感と良さであった。もっと早く演れば良かったのに。

夜はともあれ連獅子で、長三郎がとにかく一生懸命で、みんな固唾を呑み、泣く。それから子獅子に気が行きがちだが、勘九郎の踊りは相変わらず素晴らしく、もっと踊りの演目を増やしてほしい。

 

弁当を食べながら母から、伯父が癌で緩和ケアに入ったという話を聞く。数年前に亡くなった、上の伯父と同じだそうだ。ショックだろうことは察せられるが、相槌を打つぐらいしかできない。

勘三郎さんは十三回忌だし、勘九郎は親獅子だし、七之助はもう連獅子をやらない。絶対に避けられない人間の入れ替わりのことを、否が応にも考える。自身が死に直面する心境とはどのようだようか。自分にとって近しい人が死に向かうのに付き添うのはどのようだろうか。

全て見送り、近しい人が誰もいない世界で生きるのは、今と何か違うだろうか。