仮面福祉会

できることを切り売りしています

だから何ではなく、ただ認知をする

起きると大学生たちが走っていた。100回記念大会と書いてあり、いだてんのことを思い出す。箱根駅伝については賛否両論悲喜こもごもあると認識しているが、勘九郎贔屓からの金栗さん支持という謎立場から、今年もやや肯定寄りの中立で見る。
ただ兄が起きてくるのを待つ時間の埋め合わせである。

朝昼兼用のおせちを食べ、眠気にまかせゴロゴロする、まさに寝正月である。昼前に弟が帰ってきて、車に乗り込み祖母の家に向かう。

このように集団で行くのは久しぶりで身の置きように困る。更に叔母とイトコとその子どももやってきて急に人口密度が高い。
普段無口な従弟から、2月に入籍し6月に挙式をする予定だと発表があり、やんやんやと祝った。結婚済みの従姉の上の子どもはもうすぐ中学受験の試験日だという。
はたから見れば賑やかで幸せな光景かもしれないが、祖母は会話が聞き取れず、終始冴えない顔をしていた。そういう祖母に父は、なぜ補聴器を使わないのかやる気がないのかと、わざと聞き取りにくい早口で叱責するようなことを言い、無視をするなと怒っている。そして私は、母業を全うしている従姉と、全ての人々に祝福され育っている娘(小4)の存在が恐ろしくて仕方がないし、従弟の結婚式に出れば、今後結婚を祝いに行かなくてはならない機会は当分なかろうと安堵している。

帰宅して見たら今日は1000歩も歩いていない。
無意味にもどこかへ行こうか迷うが、日が暮れそういう気分でもなくなり、自室で仕事することを言い訳とする。

PCに向き合っていると、ブンブンと通知が鳴り、ひどい事故のニュースを知る。震災と地続きの出来事に、日本中にならい暗い気持ちになる。旅客機に乗る人々はみな、あの、離陸前に見る映像のとおりの行動をしたのだろうか。小さな子どももいたろうに、すごいことだ。
倒壊などに巻き込まれたり、飛行機に乗っていた数百、数千の人を思い浮かべ、多少なり恐ろしい気持ちを多少想像することができるが、今日もガザやウクライナで殺されている何百という人たちのことを、同様には心配することができない。と言っているのをネットで見て、本当に最もだなと思った。
できていない、ということを自覚しなければならない。