仮面福祉会

できることを切り売りしています

長く生きられ過ぎる

年末までに取らねばならない有給のことで悩んでいる。偶には、と誘った友達の予定が一向に定まらないうちにぐんぐんと冬になってゆく。ひとまず映画を見るかと水曜に半休を入れたが、その上映館のサービスデーは火曜であった。

上司は、取り切れなかったら取った夏休を有給に切り替えよと言う。私は最後の数日、打刻しないで出勤しなかったことにすればいいやと考えている。そしてそれらの発想にイラついている。

休めるタイミングは過去にいくらでもあった。休むのも休まないのも強制されるのは嫌だな。

 

定年延長に伴い、退職金制度が変わるというので、昼休みに組合で説明がある。どうせ自身が辞めるまでに何度か変わるのだろうからと、2割ぐらいしか頭に入らない。そういう姿勢は他人から自分に返ってくることだと戒めるが、なかなかである。とりあえず中途採用は損だということはわかったが、そうでない企業なんて日本にあるのかな。勤続年数をアドバンテージにしない仕組みを知りたい。

 

帰り道、七之助のラジオにクドカンが出ているのを聞いていた。七之助は、勘三郎さんが亡くなる前と後で別人になったことを、目の当たりにするたび返す返す思う。要するに、こんなに雄弁だったのか、ということだ。

関係性や環境の要素がでかいと思うが、親が死ぬことでかほどに変わるのであれば、若いうちに分かれることが正解なのではという気がする。関係性が良好な場合、死別以外で本当に独立するのは難しいことと感じるが、少なくともパラサイトしている自分は永遠に羽化前のまま、死にそう。多くの機能を眠らせたまま死ぬと思うと、もったいなくてちょっと悔しい。