仮面福祉会

できることを切り売りしています

何も介さない嬉しさ

朝が段々暗くなってきた。わけもなく、明るさのあるうちに電気をつけるのがあまり好きではなくて、カーテンを開けてしのいできたがいよいよ薄暗い。あとひと月ほどで冬至だものさもありなんである。

 

昼にかき氷を食べに行く。後ろの席のふたり連れが、運ばれてきたものを見て「おいしそう〜」と言っていた。あのように素直に喜びあえたら楽しいだろうし、お店の人も嬉しいだろうし、世界が平和でとてもよい。ひとりだからというのもあるが、その程度の素直さすら持ち合わせない自分の面倒くささを認める。

 

今日納品されるべきものを待つ。どうせ時間内には来ないだろうと諦めていたが、一応確認の電話を入れると、18時には、と言われる。18時は時間外です。次の作業が控えてるから、早めを善処してくれと頼み期待しないで待つ。

そして18時過ぎ、2割だけ納品された。

電話もよこさず時間を守った風にする姿勢にイラ立つ。結局全部納品されたのは20時過ぎで、こちらから良いとも悪いとも言わないうちに奴らは先に帰った。最後のメールが文字化けしていてわからない。ほんとこれどうしたらいいの。

期待していないが期待していないを下回る所作で立ち回られることに動悸が収まらない。しかし周りの人々は諦めからだが端然としているので、ひとりでかっかしていておかしい。大人になれない私は、大人とは何ぞと思う。

 

母の財布を修理に出していた店が、取りにゆかぬままなくなっていた。狐に化かされた人のように、一時呆然としたが、メールをしたらちゃんと返事がきた。おかしなことではないのに、次元の違う人とやり取りしているような不思議を感じる。

修理できないという結論になっていたので、購入のしたいとお願いする。それで送られてきた参考画像が、その辺で撮ったらしい写真で味わい深い。店のときはただ通り過ぎる客だったが、にわかにお得意様になったかと錯覚され、まんまと嬉しい。

母はひとしきり悩み、結局前と同じ色を選んだ。選ぶ時にどうやら、余生の長さを考えているようだった。