仮面福祉会

できることを切り売りしています

曖昧な顔

かつて毎日見かけていた先生の2人連れと、久しぶりにすれ違った。男の先生はこの間もちょくちょく認識していて、ひとりの時もあれば別の先生と一緒の時もあった。男性は比較的、持ち物などがあんまり変わらないからすぐに覚えてしまう。いっぽう今日見た女の先生が、前と同じ人なのかちょっと自信がない。

そういえば、同じように出で立ちで何となく覚えてしまった近所の人の、顔を最近初めて見た。何か最後の部品が出てきたような感じがして面白い。マスクを外す人が増えるに連れて時々おとずれる。しかしそのとき見た顔を、覚えているかと言われたら全く思い出せない。

思い返せば人の顔というものは手がかりが少なすぎる。見れば、ああ、とわかるのだけど、覚えておくのが難しい。他人でなくても思い描くとみんな曖昧だ。

 

駅前で、メモを握りしめたおじいさんと、学ランの子が話している。学ランの子がスマホを見ながら先を指し示し、道を教えようとしているようだ。

スマホによってどこでも調べられるようになったから、道案内のハードルは下がった。しかし、知らない場所を説明するのはどうしたって覚束ない。無事に割り出せるだろうかとちょっとだけ心配するが、電車があるので脇をただ通り過ぎた。

 

仕事は午後から大学の先生と打ち合わせ。約束より1時間早く来られて困る。話がまとまらなくて更に困る。雑談が終わらず中々お帰りにならないから上乗せで困る。

自分からお声掛けした手前むげにできないが、正直少し後悔と責任を感じている。理想に近い着地をさせるためにも頑張らねば。

 

アプリに従ってトレーニングをやる習慣は、ギリギリ維持するのを優先して面倒なのを避けがちになっている。久しぶりに筋トレメニューをやったら、ちゃんとできなくなっていて感心した。できるようになる実感はないのにな。