仮面福祉会

できることを切り売りしています

机上でも空論でも、そこから

外が暗い。風がごうごうとなっている。水音は聞き取れないから、雨は降っていないだろうと目算する。果たして地面は濡れているが、雨は止んでいた。雲の動く速さを見て、風の強さを確かめる。

商店街のビルが取り壊されたところで、少し前からまたビルを建て始めた。工事現場の足場は、天気が荒れるといつも恐ろしいが、どうにかなったところは見たことがないから不思議だ。足場の間から見える柱が木で、へえと思った。木造アパートの存在を知っているのに、四角い建物は全て鉄筋のように思い込んでいた。

 

電車がじわじわと遅れ、定時より15分ぐらい余計に乗っていた。平日でも、混雑の影響がある日とない日がある。きっと「混雑」と表現される具体的な何かがあったのだろう。

 

午後出かけるため、12時前に早弁をしてちょっと恥ずかしい。ひとりだけ食欲を満たしていることに、後ろめたさがあるのと、自分が食べているものを見られるのも気まずい。食べることに人は本能的に興味を持つ前提から、実際はないかもしれない視線を感じ取ってしまう。

 

出かけて全国会議みたいなのに出席する。自分の所属する組織の方向性を話し合いましょう、という、実体のないものを大勢で思い描き合う場で、永遠に頭の中がふわふわする。足がかりが理念理想しかなく、議論が進むにつれ、宗教みたいだなと感じ始める。公に認められているからセーフなだけで、実際紙一重だろう。

しかし、こういう空気に触れると、自分のスタンスが思い出せるから、偶には出たほうがいいな。

隣に座る人は組織の偉い人で、私には役職がないから、だいぶ若めに見られているなと察した。こういう時、歳をわざわざ言うのも変だが、ハードルを下げられて悪いなと思う。社会人になってあともう少しで20年経つんですよ…。

雲を掴むような会議だったねえと後輩と話しながら職場に戻る。

 

一方その頃中東では殺し合いをしていて、ニュースでその筋の教授が話しているのを聴く。この人たちは、個人としてはどのような気持ちでいるのだろう。我らが日々で忘れてしまうことを、研究し続けている人がいるのは本当にありがたい。