仮面福祉会

できることを切り売りしています

無の図

切替器があるかのように、がっちり日常に戻る。入れ違いで両親が旅に出ている。誰もいない朝に、生ゴミをまとめて出して偉い。

途中駅で、あんパンのようなものをかじりながら電車に乗り込んでくる人の、社会の窓が空いていた。油断が過ぎようが。(社会の窓、ってまだ使える言葉なんだろうか)

一方自分は職場に着くも、セキュリティカードをかざしたつもりが、スン、となる。旅先で失くさないよう、カードケースから抜いておいたのだ。ミスがありがち過ぎて納得感すらある。湯を沸かすなどして人が来るのを待つ。

 

大学の先生との打ち合わせに耐え、昼にかき氷を食べに走る、芋栗南京の季節にも終わりが見え慌てている。ちょっと待って冬、という歌を毎年頭の中で歌うが、待ってほしいのは季節ではなく、店の判断である。せめて11月いっぱいは秋とみなすこと。そして冬至に向け12月も南瓜を扱うことを要求します。

 

午後は、先週から後回しにしていた、官公庁からの依頼関係を根気よく片付ける。

 

旅先から帰る両親から、今静岡だと連絡がある。エリアのでかい今ドコドコ、は、旅に出ているときにだけ使えるフレーズだ。遅い新幹線に乗って、徐々に近付くアイコンみたいなものを想像する。昨日乗った飛行機では、羽田と書かれたポイントまで、びゃーんと飛行機が飛んでいる図が画面に表示されていた。何の意味が…?と思ったが、絵で示したい気持ちはわかる。

 

デパート上の寿司屋で落ち合い、夕食をともした。昨日はホテルビュッフェだったと言うし、健啖な人々で感心する。