仮面福祉会

できることを切り売りしています

思い出が作られているのを見る

外にいる時間の長い日は、上着の選択が難しく荷物が増える。

停車した駅のホームドアに、サミット開店の、ワード文書みたいな広告が出ていた。普段使う沿線で広告を見たことはまだないが、あの面は確かに、宣伝場所として売り出せる新たなスペースだ。とはいえサミットはちょっと意外である。

 

紫芋のかき氷を求めて行く。客足が落ち着き快適に入店できるようになり良い季節である。今だけ今だけと自身に言い訳をし、欲求に任せほうぼうの店を巡っている。隣の席の人が大胆に残していなくなったので、ああもったいない、その紫芋餡を分けてもらえないかしらと思う程に貪欲である。

 

約束までぶらぶら、スカイツリーまで歩いた。ソラマチは把握していたが、高架下にできたエリアは知らず、もにゃもにゃした心持ちになる。どんなに素晴らしい人々が考え、洗練されたデザインを繰り出しても、積年の結果たまたま生み出されるような空気感は作り出せないものだな。ここ10〜20年ぐらいで出来た、似たような施設たちは、個性を持つようになるのかただ汚れ廃れていくのか、どっちに転がるのだろう。

 

友達と落ち合って合羽橋へ。狭い商店街にぎゅうぎゅう集い歩くのも大変。今となっては嘘のようだか、おそらくコロナのときに閉店した店も多かったのだろう。包丁を売る店がやたら多い。店構えから、完全に観光客向け仕様とわかる店に、ちゃんと外国の人が訪れている。

友達が鍋を買うのに付き合い、行ってみたかったイングリッシュパブに入る。ギネスビールがうますぎるので、つい、これでアルコールさえなければなぁ!と、アイデンティティを否定するようなことを言う。

居酒屋に移りあれこれ話していると、西洋系の人が隣に座った。ポテトと唐揚を頼んでいて「わかる」ものを選ぶんだなとつい見てしまう。味が薄いと感じるのか、唐揚に多量の醤油をつけていて、それが日本の思い出になるかと思うと、ちょっと恐ろしい。

 

280mlのギネスビールで気持ち良く過ごした。これがギリギリっぽい。