仮面福祉会

できることを切り売りしています

人の思い出になるかもしれない

決めた!やるぞ!えいや!みたいな決断をすることなど、あるだろうか。

私の決断は大抵、選択肢の間をなぞりつつ、段々にどれかへの比重を増やしてゆき、重みがいっぱいになりそうなところで、成り行きのようになされる。しかし実は普通こんなもんで、フィクションで見るような明確な決断など、企業の決裁にだってないんではなかろうか。

ぼんやりとした決断をして、ぼんやりとした倦怠感を満載して起きる。金曜だけ朝のEテレの編成が違うのに救われる。

 

駅前に政治家が立っている。共産党はしつこいが、それ以外の党の人はほぼ、私に対してビラを差し出しもしない。無意識かもしれないが、社会人然とした出で立ちの人を選んでいるようだ。有権者への意識もそんなものか、と思う。

 

打ち合わせのため外に出ると、湿気が溺れそうなほどすごい。そういえば、ブラインドの隙間から雷が光るのが見えた気がする。事務所にいると外の様子がわからないから、それきり忘れていた。秋らしい雰囲気は要所にあるのに、気温だけ一向に下がらないから、かけ違えたような落ち着かなさがずっとある。

 

打ち合わせでは、昨日の凡ミス嵐に苦言を呈することを忘れない。それから他のやらかしに関して報告を受けるも、「我々がミスするのはお前らのせいだ」と思っているのが滲み出ている。そこはまず自分たちの悪いところを認めてからだろうがよ。

 

帰りがけ上司から、娘さんが留学する話を聞く。更には今年で定年退職をされる。他人の人生のステージがまさに変わらんとしている箇所に、偶然駒として置かれている私を意識する。何の影響力もないが、上司が後々思い出す風景にいるのかもしれない。妙なものである。