仮面福祉会

できることを切り売りしています

同じなのか違ったのか

美容院の予約をしておりしぶしぶ起きる。

10年以上通う美容院が、ここ数年で2,000円値上りしたことへの攻防が終わらない。今回は直前に予約することで、比較的安価な美容師さんを当ててもらう作戦。現れたのは本当に初めましての若者で、ちょっと怯む。結果的には問題はなかったのだけど、希望が伝わりづらい実感はあったし、何しろ裏切りのようで落ち着かない。やっぱり、指名は変えず、頻度を下げるのが妥当とみえる。

 

美容院を出て、暑さがそこまででない気がしたので、かき氷を食べに30分歩く。

高低があり、まっすぐな道が少なくてわかりづらい。しかしまごうことなき高級住宅地で、民家にまぎれておしゃれなお店があるところもそれらしい。兵庫の芦屋もそうだが、お金持ちはどうして山の上に住むのだろうか。不便なところに住んで不便をしないのがお金持ち、という、遠回りの表現なのか。

いくつかの学校の間を抜けて、商業地域に出た。

 

かき氷は結果的に一時間以上待つことになったが、店内で座らせてもらえるから全然苦にならずぼんやりしていた。

カウンターに通され、作っているのが少し見える。アシスタントのような店員さんが盛り付けしていたが、途中で店長さんが、ちょっと見てて、とお手本を示していた。咄嗟に、あの氷を提供される人がうらやましいのうと思う。欲が深い。

 

眠いからさっさと帰り、寝て起きたら暗くなっていた。洗面所が汚いので掃除し、ついでに風呂も掃除し、廊下と階段に掃除機をかけた。面倒くさくてしかたがない。

SNSで、コロナから、みんな生活に対する活力が下がってないか、と言っているのを見た。もう、思い当たる節しかないが、もりもりにコロナの仕事をしてきたからだと思っていた。みんなと同じで安心することと、人と一緒にするなとイラつくことがあるが、これは前者だ。多くの人がそうなら、しかたないよね。