仮面福祉会

できることを切り売りしています

旅の余韻を堂々と渡る

保険で午前休を取っている。出勤するかどうか、起きてから考えようといい加減な気でいたが、起きたら面倒くさいが超絶だったので迷わず二度寝した。

二度寝したからといって面倒くさいはなくならないが、そこそこの時間にやむなく体を起こして支度を始める。休みでいったら1日取っただけなのに、日常とのギャップがでかかったな。

 

職場に向かう前に、アレルギーの目薬をもらいに眼科へ。5本で1000円ぐらいにしかならず、保険の威力にすわ、となるばかりだ。

眼科の辺りはビジネス街でも花形といえる場所で、絵にかいたようなかっこいい女性と西洋系の人がランチで歩いていたりする。この人々も、週末をともにした農家の人々も、自分も、同じ国で生活をしている、営みの方法の多様であることにしみじみ感じ入った。

 

休み明けの出勤が億劫なことの原因は、いないの間に起きたことがわからない、という事実に尽きる。まず、職場についてデスク上に置かれている物が嫌だし、返事が必要なメールがあるのもプレッシャーである。

と、過剰に身構えたが、今回は1日空けただけなので全然何も起こっておらずむしろ心配になる。木曜に投げたお手紙に反応が、ないし、さては暇だな。

 

土曜日に長野で買って発送した野菜が昨日届いた。そしてありがたくもその野菜たちは今日、母の手によって食事となり目の前に並んでいる。テレビで時々見る、釣った魚を料理してくれる店のようだなと、無礼なイメージが頭をよぎって申し訳ない。改めて見たらどれも安くて立派だったので、もっと買っておけば良かったと、自分で調理しない気楽さで思う。

 

善光寺で、百円玉しか入らないおみくじの自販に難儀しているファミリーがいたので、旅のテンションで声をかけて両替を申し出た。その時に引いたおみくじをようやっと開けば、果たして大吉である。はたして、ってなんだ。