仮面福祉会

できることを切り売りしています

後付けの虫の知らせ

朝、金曜にやっているおにぎり番組はちょうど良くて意識的に見る。ほうじ茶で炊いた豆ご飯が絶妙に美味しそうで羨ましい。豆が好きすぎるので、いろんな豆のご飯によって毎日タンパク質を取る日々を想像して憧れている。多分ポイントはほうじ茶の方だが。

 

土曜に人と約束をしていたが、体調不良でキャンセルと連絡がある。詫びの文面がきたが、反射的にラッキーという文字が頭をよぎった。暑いしめんどうだなという気持ちが勝っていたし、予定に入っていた水族館のチケットを、何となく取らずにいたのでファインプレーだ。こういうときに自分の都合しか算段にあがらないところが、人として未熟なところなのだと思う。しかし、全く気にしなくて良い、と返事をしたのは嘘偽りがない。

さて明日はじゃあ何しようかな。

 

仕事はなぜか電話で外国の人と話がちの日。日本語が不慣れな人には、英語の授業で作る日本語訳のように話すことにしている。こんな極東の唯一言語をゴリ押ししてすまねぇが、私が外国に言ったらこんなにやさしくしてもらえるだろうか。自惚れである。

上司が一人休んでいるだけで、今日はもういいかという気持ちになり定時で帰る。

 

定時で帰ると家に誰もいなかった。言っても19時過ぎである。エアコンがついているし新聞も取ってあるので、どうしたものかしら疑問に思いつつ風呂掃除だけしておく。腹が減りまくっているが、帰ってくるだろうから待たざるを得ない。しかたなくトマトを丸ごとひとつ食べた。小学生か。

20時半ごろ母がバタバタと道場から帰ってきた。弓を持って山手線に乗っていたら、外国の観光の人にめちゃめちゃ見られたすえ、席を譲るよ!と言われたのだそうだ。あの棒が弓だとわかるとしたら、相当な玄人ではなかろうか。単にでかいものを持ったおばあさんがいたから親切にしてくれただけかも。いずれにしても、外国の人の社交性は、個人差はあれ、生まれた時から違うと思わされる。

 

ほしいモノであふれている番組を惰性で見ていた。中世そのままの雰囲気満載で、母が好きな世界観で満ちており、どうして日本はこうならないのかとぼやいている。そんなに好きなら行きたくならないのか疑問だが、全然そんなそぶりはない。与えられていいないいなと思うことが幸福と感じるのか。

外国の子どもたちの顔に慣れないから、みんな大人びて見えてこんなチビでもかと不思議だ。新作のおもちゃを試しに持ち込まれた子どもはそれで人形遊びをしていた。大人があれこれ狙いを考えても、普通はそんなもんだよな。