仮面福祉会

できることを切り売りしています

きれいに隠してあげよう

数日前から親が出かけている。ひとりでいると家が汚れないしゴミも少ないし気持ちが少し平安だ。

不燃ゴミの日なので、新聞紙に包まれた何かを出す。多分この間父が割った急須だ。可燃プラゴミよりも自信がなく、収集してくれるだろうかと心配になる。残されたことにすぐ気付ければ良いが、夜まで帰らないから、ご近所の手前お恥ずかしい。

 

以前2時間コースで話した人からの電話を取る。今回は何のことはない今後のスケジュールを訊かれただけだが、身の上と世間話が始まる。さすがに付き合えないので、用は済んだみたいだから切らせてねと、やんわり伝えて終わらせた。言ってもゴールテープを切ってからクールダウンの長い人であった。いくら話しても足りない、というような心境になったことがない理解ができない。もう少し歳をとったらわかることだろうか。

 

たのめーるで買ったキャリーケースが事務所に届いた。ダンボールに入った状態で、片手でオーバースローできるぐらい軽い。CMのように浮かび上がってくようにすら感じる。側はまだしも、持ち手とかキャスターとかも含めて軽いのすごいな。中に詰め込む「紙」は未来永劫重いのに。

 

外での打ち合わせを終えてデパ地下を通る。安くなった惣菜を買う、という行為をしてみようかとぐるぐる回った。弁当以外は大抵グラム単位で値段が書いてあるのが罠だ。100gがどれぐらいかなんてわからないし、一瞬安いなと思わせてくる。

コンビニですら選び取れない私には難しすぎるとわかっていたので、冷やかすだけ冷やかし、ファミマで白くまアイスバーを買って帰る。

 

歴史探偵で原爆のことをやっているのを見る。これは、と思うことが目白押しだし、今二の舞を踊っていない保証はなく、不安が募る。

それにしてもこの件に限らずアメリカには、国民は腹が立たないのだろうかと不思議に思う矛盾がちょくちょくある。完全にバカにされているようみえるんだけど、ドリームの前には小さきことなのか。

 

司馬遼太郎の100分で名著を聞きながら寝る。