仮面福祉会

できることを切り売りしています

逸脱への寛容と警戒の狭間

おじいさんと孫のペアがアパートから出てきた。誕生日だよ、早いねと、と言い合っているなかで孫が「たまごっちがお祝いしてくれたんだよ」と言う。それにおじいさんが「データを入れたんだね」と返した。急に感情が伴わなくなって可笑しい。そうだ。自分で誕生日を入れるから祝われるシステムでも、まんまと喜んでしまうものである。

 

鍵を持っていないという兄とやむ無く連れ立って家を出る。折角だから地元の飲食店に行ってみるというので、商店街で別れた。兄は一人で普通に飲食店に入れる人なんだな。私も平気だが、両親はせいぜいカフェ止まりだと聞いたことがある。独りで過ごす時間の長い末路の我々である。

 

電車に乗っていると、入ってきた子どもの兄弟が、座っている人に「二人で並んで座るからつめてください」と、当然のように要求していた。子どもだというのを差し引いても「普通」から逸脱していて怖かった。

 

図書館に行き、PCを開きWordpressを入れたり消したりする。しばらくすると、隣に座った人が文庫を小さく声に出して読み始め、と不穏を感じる。気付かないふりをしてやり過ごしていたが、途中から、どう考えても本とは関係ない小声の罵倒が始まった。やべぇと思ってそっと席を離れた。

おやおや?という気配をビリビリと感じることがあるが、この感覚が正しい自信はないし説明し難い。物理的に攻撃されるわけではないのに、恐ろしいと感じるのは精神的なことだ。そう感じる相手が、どこで何があってこうなったのか不思議ではあるが、距離を縮めて理解する勇気がない。