仮面福祉会

できることを切り売りしています

所詮俗物

夏休みを余らせているので半休をとった。献血をして、かき氷を食べる定番のコース。

平日の献血ルームには、少しのやり取りだけでクセの強そうなことがわかる人ばかりが集まっている。私もその一味かな、そうだよな。でも、血をやるぐらいだから悪い人ではない。

手が冷たくなる時期になり、よくよく暖めてもらいながら血を抜かれる。成分献血で、返すものの温度が下がっているので冷えやすいのだ、と看護師さんが教えてくれた。改めてやっていることを聞くと、とても物理的なのに驚いてしまう。

ただ私は冷えているほうが気持ちがよいので、かぼちゃのかき氷を食べて嬉しい。

 

午後から仕事。業者さんからもらったリストを精査すると10分の1ぐらいしか有効な数値がなくて、むしろその10分の1も合っているのかな。甚だ信用がならないが、ほとんどゴミだったという事実を伝えても暖簾がひらひら揺れるばかりで全然堪えない。なんでだ。どうもエクセルをいじくり回してばかりいる。福祉の仕事に集中させてほしい。

 

夜のテレビで、昭和の終わり、天皇崩御についての番組を見る。例えばこの前年の12月に亡くなった祖父のこととか、わりかし記憶のある歳ではあったが、この一連については全く記憶がなくて、こんな報道がされていたのかとびっくりしてしまう。何と節度のないことだろう。

今でもそうだが、他の局に先んじて抜く、ということにどれ程の社会的意義があるんだろうか。社会のが埋もれたり隠されている課題を、深く粘り強く追求して暴くことに力を使ってほしいが、ジャーナリズムはあくまでもまず商売であって、重要なのはそこではないということなのかな。

 

遅く帰ってきた父に母が、今日会った友達から聞いたあれこれを話しているのが聞こえる。さっきまで二人きりだったが、私には話さないんだな、と何となく思う。