仮面福祉会

できることを切り売りしています

雑な暮らし

沈丁花の蕾が大きくなってきていることに戦慄したのが先週。そして今日、梅の花が咲いている。春がそこまで。というはフレーズを、ホラー文字で示したい心持ち。

仕事で取る電話も、必要以上に焦っていたりイライラしていたり、全体的にフワフワしている。春らしい春のない国の人は、こういう季節を経験しないのだろうか。気候ではなく周期の問題なら全世界共通だろうが。

 

新年度から正規雇用になる同僚が、内定者説明会があるからと完璧スーツで出勤をしてきて、比喩でなくザワつく。普段からスーツスタイルの人がいないわけではないのに、特段に決まっていてめちゃめちゃかっこよい。私が好きなスーツイラスト描きさんの絵が具現化されている。普段からおしゃれさんなのできっとこだわりの一式なのだろうが、トータルでちゃんとするとこんなに違うものなのかよ。コーディネートの力をみくびっていた。みんな整えてこうぜ。わたしもな。

 

後輩が誕生日祝いでクッキーをくれたので、今しかないと焦って自分の年齢を教えた。長いことわだかまっていたことを知らせられてスッキリした。すると、年取ったなって感じることありますか?と、なくないですか?のニュアンスで絶妙な質問をされた。こういうコミュ力の高さ、どこで身に付けてくるのか教えてほしい。

ないのだが、献血できないとか、若者が怖く感じるとか、もしかして年のせいなのかと思うことはある。ん?これが「年を感じる」ってことなのかなもしかして。

いずれにしても全部無視して差し支えないと捉えている。

 

義妹のご実家から贈答用の文旦が届いた。ハガキに、若い二人は仲良くやっているようだと書いてあり、両親と三人で、知らんな…という顔になった。我々家族には連絡を取り合う習慣がなく、根拠もなく元気なんだろうとぼんやりしていつも情報を得そびれ出遅れる。ただ文旦の返礼に何が相応しいかということ議論した。こういう時、東京は貧しい。