仮面福祉会

できることを切り売りしています

お母さんに怒られろ

首の下に湯たんぽを敷いて温めていたら、そのまま寝てしまった。相変わらず首は痛いが、日々改善はしている。病気やケガで、発症するのと、回復とでかかる時間が平等でないのは、当たり前とわかっているが納得がいかない。

 

駅までの道、商店街に差し掛かると今日も荒れている。今日びタバコの吸い殻をポイ捨てする人がこんなにいるのにもガッカリするし、そこら中に酒の缶が捨てられているし、加えて飲食店のゴミ出しが雑で毎日カラスが通ってくる。繁華街に出ると、住宅地では守られているだろうモラルがぐだぐだになるのなんなんだ。この街程度でこれでは、ハロウィンの渋谷が神経質になるのもわかる。

 

今日も別のグループに世話になる。

常駐先に連れて行かれ、小部屋に入ると、散らかっている。建物は新しくてキレイなのも嫌さを増幅させる。つまり、使っている人々の性質によるものだから。それを示すかのように、床に直置きされた電気ケトルを、連れてきてくれた先輩が足でぐいぐい動かそうとしていた。嫌だなぁと思いながら、空いているデスクに座らせてもらう。窓もなく、息苦しく感じる。

その先輩が、相談者と小一時間話しているのを横で聞く。

自身が思春期の頃、何かに思い悩み、何でも相談的なところに電話をしたことがある。その時、何の解決にもなんねーなと思った記憶が鮮明にあるせいか、専門職に相談するのだから、何か期待されているのではと考えてしまう。しかしここ数日伺う限り、話すだけである程度安心する人が多いらしい。先輩がしていた電話の人も、今後もちょくちょく話しましょうと言って終わっていた。

自分が話を聞く時が来たら上手にできるか、かなり意識して我慢せねばならぬな。

 

午後は他の拠点を自転車で巡る。どこも小部屋なのは同じだが、大抵小綺麗に片付いている。良かった。全部がああだったら私は安心して仕事ができない。

途中で先輩がおもむろに和菓子屋に入り、まんじゅうを買って出先の職員さんに差し入れていた。あれ、自腹だよな。

実際、この4日間、行く先々で小菓子をもらっている。大阪のあめちゃんではないが、これもコミュニケーションで仕事のひとつなんだろう。慣れてゆかねば。

 

巡る場所がどこも住宅地にあるので、入り組んだ道を通り抜け全く覚えられる気がしない。途中、桜並木の道に出て、通りかかる人々の多くがスマホを掲げていた。満開に咲く桜を見ると、撮っておかねばならないような気持ちになるのが不思議だ。

 

移動しかしていないが、疲れた。

もらったまんじゅうを夕食に食べる。