仮面福祉会

できることを切り売りしています

大きな葛籠はきっといいもの

リビングに降りると電気が光々とついている。父が高尾山に行くのだと言っていた。

年末だからか、父の遊びが増えている気がする。ゴルフ、食事会、そして登山と、おじさんらしい遊びで大抵午前から出かけ、早い時間に帰って来る。仕事で日中が埋まっていなければ、夜に詰め込む必要はないものな。

京王線が止まっているらしい、とぼやいている。いいから早く出立して、テレビを消し、部屋の明かりを落とさせてほしい。

 

月末は暇で、他の人の手が回らない架電の仕事を引き取る。クレームでなければ、一般の人と話すのは面白い。こちらのデータと名字が違っていたりすると、この間にどんなドラマがあったのだろうなと、ちょっと興奮する。絶対に知るはずのなかった人生のを一瞬垣間見るのはすごいことだ。

先月つながったはずの電話に別人が出て、持ち主は8月ぐらいにトルコに帰ったよ!と言われる。ホラーなのかな。

 

帰宅し、昼にローソンで受け取ったKingGnuのアルバムを開封した。最近エンタメを買ってもつい積んでしまうだけど、CDは聞くまでの段取りが多いから、聞きたい気持ちを拾い上げて実行した。

特別仕様版を買ったのだが、この作りは、思いがけない。紙パック式掃除機からのサイクロン式とか、ガラケーからのスマホのような、別次元の発想だ。と喩えたものの高性能のことではなく、ディスクがはまった台紙が封筒に収められているとか、ライナーズノートが曲ごとにバラになりデザインされているとか、そういうところだ。全体的にアナログに振っているのに意図を感じる。コンテンツがデジタル化することで、価値はむしろどんどん物質化してゆくのだなと思う。

スマホに取り込んだところでおしまい。

 

ラグに座り込んでいたところから不意に立ち上がると、どうやったのだと、母にぎょっとされた。どうやら母は関節が硬いらしく、私のようにしゃがむことができない。逆に私は伸ばすほうがダメで、母のように長座ができない。見た目よりも体の作りの似なさに対してしみじみしてしまう。