仮面福祉会

できることを切り売りしています

まるた

通勤電車は余程のことがなければ座らないことにしている。すると座席があいているとき、身の置き場に悩む。座っている人との距離感も難しい。視線を落とすとポケモンスリープの画面が目に入った。

 

仕事、コロナのなか下した判断の結果が浮上してきて、何でこんなことに、と眉を潜める。当時の協議の結果なのか、単純に見落としなのか、記録がないからわからない。記録がないから見落としなんだろうと見込み、処理をしたが、後の反応が怖い。

 

こういうことの積み重ねで戦争に至ったりするんだろう。

終戦の日であったが例年より静かに感じるのはただ環境によるものか。多くの人が地方に行っているし、台風が来ているせいかもしれない。今年の夏はいつも以上に事態が盛り盛りでカオスだ。重要なことも考えがまとまらないままふかふかと過ぎていく。

新聞で文筆家の人が、加害性が足りていないというようなことを書いているのを読んだ。戦争の悲惨であることは語り継がれ、それに至る過ちの積み重ねは検証されたりしているが、多くは被害者としての視点を出ない。民は国と敵国の被害者になり、兵は上官の被害者になり、政府は陸軍の被害者になる。我々が周囲にどれだけ酷いことをしたかを、掘り下げるに至らないから、諸外国からいつまでも嫌われてそれすらも被害者意識の糧となる。

確か中学生のときに、戦時中の中国での記録映像のようなものを見た。そこで日本人が中国人にすることの数々が全部酷くて、思い出しても震える。あれはリアルだったのか作り物だったのか、ソースを全く覚えていないから不確かだが、足りてないのは多分ああいうことだろう。

余程気を付けないと、偏ることをすぐに忘れてしまう。

 

夜中急に強い雨が降り始めて恐ろしい。あまりに音が激しいので、家が壊れないのかと毎度疑うが、雨風で家が打ち壊されたという話はほとんど聞かないし、大抵の家は平然と建っている。当たり前のことだがちょっと驚いてしまう。