仮面福祉会

できることを切り売りしています

判断を委ねながらする会話

電車が遅れないほうが珍しい。平時に戻った実感がある。つまり、遅れるのは人間のせいなのだ。

朝から打ち合わせ。最近部長の話が長いのが気になる。実務的な打ち合わせにいる意味がまずわからないが、発言することがことごとくしなくても良い内容で、終るのを待つ時間を換算すると何というコストなんでしょうと悔し涙が出そう。存在感を示したさのなせる技か。私が、あってもなくても同じで余計だと感じる発言のレベルが下がっているのかもしれない。あってもなくても同じだろう装飾が意味をなすのは、芸術の世界だけだと思う。

最近しょんぼりしてしまうのは、職場の人々が自分のせいで気持ち良く仕事ができていないのではと考えるからである。それを上司に言ったとして、そんなことないよと根拠のないフォローをされるだけなんだろうが。こうして、4、50代は悩みを抱えていくのだろうな。

最近母が、テレビや雑誌などで生活困窮がらみのテーマが扱われているのを見ると、あなたの分野なのではと水を向けてくる。興味を持ってくれるのはありがたいことだが、正直仕事でお腹いっぱいの状態がもう2年近く続いて建設的な思考ができなくなっており、要するにしんどい。理想の福祉からは遠く離れたところであぶあぶしていて、こんな課題があるよあるよと知らされても、知ってるけどごめんね!としか思いようがない。ましてや意見を言うなど恥ずかしくてできない。
ますます楽しく話せることがなくなってゆく。