仮面福祉会

できることを切り売りしています

一部できないから全部ダメ、なわけがない

先日買ってきたグレープフルーツが中心から腐っていて、朝からおののく。

通勤電車でいつも一緒になる白杖の人がいる。慣れた様子で乗り降りをし駅構内を移動しているが、それでも人混みに突っ込んでいく様子にヒヤヒヤしてしまう。いっそ毎日途中までご一緒する約束でもできた方が気が楽だが、まさか安請け合いできない。相手からは私が見えてないしな。

先週残したタスクとともに、仕事が全然捗らない。コピーばかりしていてこれは私がやるべきことなのか?と思うが、やらないと進まないからやる。そして夜は停電で強制終了となる。
雨が降っていた。

母より、大叔母の近況を聞く。心臓の持病で手術をし入院中で、退院後は一人暮らしは無理な方向であれこれ検討しているという。
このような話を聞くたび、せっかく判断能力がクリアなのになと忸怩たる気持ちになる。本人の希望よりも、何かあったら大変だから、という大義が優先されて当然、というのが、未だスタンダードなのが辛い。一人だろうと施設だろうと何かあるときはあるんだから、リスクがあっても理想を実現するための提案があって欲しいと私は思っている。もちろん、本人が施設でのんびり安心して暮らしたいと思うなら、それはそれで良かろう。施設の良さももちろんあるから。問題は当人が中心に据えられた計画かどうかということだ…。
しかし如何せん全部において部外者である。何も知らないので無責任なことを言います。