仮面福祉会

できることを切り売りしています

居ないとただ空間ができる

父の手術の日である。

大変幸いなことに、私が知る限り両親とも内部疾患で入院したことがない。今回も股関節を人工にするというので心配はしていないが、それでも足を切って骨を切って置き換えて、とまともに想像すると血の気が引きそうで、まんいち何かないとも限らない。いちおう心構えをした。

前に同じ手術をしたときは別に暮らしていて、なんならその事実すら知らずに終わりそうになっていたが、近くにいると気を掛けねばならないような、謎の義務感が生まれる。周囲の心情と起こる事象には全く相互作用はないのに、思考というのは難儀なものだ。

 

いっぽうで仕事は今日こそ山場。昨日までの準備が何とか実を結びそうでゴールが見えてきた。しかし、助けてくれる業者の人の携帯が壊れてメールでしか連絡できない。そこでなんとネットワークトラブルが発生する。呪いか。どうしたって私にはインターネットが必要なのですが。と訴えまわり、右往左往して他所で回線を借りた。余裕のなさがにじみ出すぎて、今日も子どもたちを震え上がらせている。本当にすまない。早く本来の仕事したい。本来の仕事ってなんだ。わからないが私は福祉の仕事をしていたはずである。早く人間になりたい。

終えたと思ったところに手落ちが見付かり、定時後に業者の人を待たせて初めから全部やり直した。何のために準備をしたのか。ひどすぎる。

 

手術は無事に終わりましたよという連絡が入る。母はさぞ安心していることだろう。という話を女性の先輩にすると、せいせいしないのだねと言われる。どうやら、夫は邪魔にされるのが普通、という家庭が、私の周りには多いようだ。我が家はあまり、鬼の居ぬ間にみたいな感覚がないように思う。それぞれが独立して行動することのほうが多いからではなかろうか。

少し早く帰宅し、手術結果のレントゲン写真を見せてもらった。すごい、骨に綺麗に人工物が入っている。人間の考えることの大胆さよ。