仮面福祉会

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これぞ愛憎

雨だ嵐だと予報が言う。しかし午後にはやむというので普通のスニーカーで家を出る。まだ雨はさほどではない。ささと職場につき掃除などをする。

とにかく頭がぼんやりして疲労感があるので、酸っぱいものを摂ろうとエレベーターホールに降りると、時間的にまだ開かない扉の向こうにサラリーマンがずらりと並んでおり妙に壮観でうお、となる。中からは開くので扉を開きちょっとすみませんねと壁を抜けるとめちゃめちゃ雨が降っていた。

コンビニに行くも酸っぱい飲み物は売っていなくて結局事務所の自販機でレモン水みたいなのを買った。

ただ雨の様子を見に行っただけだ。

 

電話であれこれ言われるが、ぼんやりして初めのターンで理解ができない。話していくうちに段々わかってくるので何というか、エンジンをふかすのに一苦労している感じだ。窓を見ると雨がバチバチ打ち付けていて台風でもないのにすごい。もしかして気圧に左右されているのかなと思いながら、弱々しいアクセルをぶいぶい何度も踏んでこなす。

午後には晴れた。こういうのいつもちょっと信じられない。

 

ウェブの読み物で、親からの自分に対する関心を感じとることができなかった子ども時代がある、というセクションがあって考え込んでしまった。

現在の問題を子ども時代に起因するのは個人的に抵抗がある。虐待のような環境に置かれていたならまだしも、自分には十分な愛情と経済と加護があるのに贅沢なと思うし、じゃあどうせいというのだと誰かに言われる気がする。あと、自分ではどうしようもないことに影響されたくない。自分のものは、問題すら独り占めしたい。

といいながら、過去をそういう意味で想起するといつも弟の存在に当たってしまう。私が父母の愛情を独り占めしていた時期もあったろうに(兄がいるから物理的に独りではないが)、母の手が弟にかかっていた事象ばかり思い出してしまう。それで寂しいと思ったことはないが(多分)、逆にあれこれ干渉されると煩わしいと思うようにはなった、のかもしれない。しかしそれを言ったら兄も同じはずなので、やっぱり家族関係にだけ起因はできないと思う。ただ、弟と私の扱いの違いに永遠にイラついていることは確かである。だがしかし、弟はいいやつだし大事だ…兄もいいやつで好きだし、ありがてぇこつ。

その読み物で、母との関係が私にとっては一番難易度が高い、と書いてあり、わかりみ…と思う。愛憎という言葉が当てはまるのここだよな。

 

仕事で聞き取りをしていても、事象のタイムラインを整理して因果関係を探る必要はよくわかる。しかし、曖昧な上手くいかなさへは、もっと別の方法でアプローチしたい。