仮面福祉会

できることを切り売りしています

やむを得ない境遇ならまだしも

印刷した年賀状に宛名とコメントを書いていく。もう一生会わないだろうと思いながら書く相手も多く、止めたほうがいいだろうかと思うが、年賀状とはそういう文化だしな、の狭間で毎年さまよう。

そして書いてみて改めて、今年は本当に何にも報告できることがない。

 

書き終え、掃除洗濯をし、両親が買ってきた惣菜パンを昼に食べる。コロッケパンと海老カツバーガーとカレーパンが並び、何で揚げ物ばかりなのか。両親とも私より食べるし太らないから不思議だ。

 

年賀状を出しに家を出て、ずっと迷っていた夜回りに参加したいとラインを送った。今年は仕事以外の活動全部スルーで通してきたのだが、今後のためにちょっとずつ復帰したほうが良いから。

その辺で仕事をするためサーフェスを背負ったまま、高速道路ぞいに2時間ばかり見て回る。つまり、野宿をしている人たちに食べ物や情報を配る活動なのだが、仕事モードならフラットな気持ちでいられるので不思議だ。

 

最近雑誌で、仕事に家事に子育てに溺れそうになった時に、休むことを休むことにした。というエッセイを読んだ。

私は子どもがいないから、子育てをする人々と釣り合いを取るために、仕事やその他で何か余計に結果を残さねばならないと、自身を脅迫して生きている。それなのに相変わらず暇を持て余してかき氷を食べてばかりいる。この人なんて、自分の余暇を全部止めて気が楽になったとまで言っているのに。

改めて本当に何をしたらいいんだ…と頭を抱えかけて更に気付いた。子どもじゃなくて、実家の世話があるじゃないか。母の代わりに毎日掃除洗濯炊事したっていいのだ。

気付いてしまって嫌すぎて、嫌だと思う自分に更にガッカリして暗澹としてしまった。家を出るのは本当の自立のつもりだったが(いい歳して恥ずかしいが)、間違っているのではないか。

 

迷走する年の瀬。