仮面福祉会

できることを切り売りしています

付加される価値はそれなのか

永遠に寝ていたいが、社会的な生物だから起きる。月火と天気が悪いと言うので、父母が一泊旅行の予定を順延した。合わせて月曜休むつもりだった自分も順延して出勤。明日は休むぞ、と言い聞かせてがんばる。

 

昼休みに同僚が近寄ってきて、何故かこそこそと、虎ノ門ヒルズ行かない?と言った。イシカワさんが好きそうなクリスマスマーケットをやってるんだって、と言うが、何かどうなって「私が好きそうな」なのか全然わからない。キラキラしたものには気後れしてしまうし、ヨーロッパ文化への興味も人並である。同僚自身の好きが、勝手に転写されているのだろうか。だとしたら、想像と現実がシームレス過ぎて、仕事を鑑みて恐ろしい。

行きませんよ、と冷たく答えたが、虎ノ門でクリスマスプディングを食べられるなら行ってもいい。食べ物のことばかり考えている。

 

昨日借りた孔子を読む。弟子の語り口調で、子が亡くなってから3年喪に服していたというところから始まる。3年も喪に服すとは、一体どうすることなんだろう。そんな人が集団でいると想像すると、怖すぎるんだがと思うが、この空恐ろしいという感覚は、当時には多分なかっただろう。現代になって起こった何かしらから生まれたものだと思う。

孔子の教え以前の箇所で立ち止まっている。

 

母が買ってきたナスに「拡張時血圧を下げる」と書いてあり、3人で物議を醸した。ナスなんて、今までどれだけ食べてきたと思っているのか。何を急に言い出すのか。野菜がそんな効果を詠えるのか。ただうまいから買いたいだけなのに、健康を意識する人にさせられて照れるじゃないか。ざわざわ。

いつものナスと変わらずおいしくいただきました。