仮面福祉会

できることを切り売りしています

戦わないでなんとかしてよ

朝のテレビでここしばらく、諸葛孔明の通った道を行く番組がやっている。三国志はコンテンツが豊富で、自ら純粋の人物像を描くのが難しい。だが、天下統一のためと他国に何年も何年もかけて戦をしかけ続けるとは、今に置き換えて考えると完全にダメなやつでは?と思いながら眺めている。関羽兄貴の弔い合戦だ!とかいって駆り出されて負けるとかまじ迷惑でしかない。

戦国武将みたいなのが持て囃されることも多少、現代指導者が調子に乗るの一因なのではないか。兵士や土地に暮らす民にとって、あいつより自分の方が良い王である、と信じることに客観的な視点はあるのか。そうだ、正当な選挙をしろ選挙を。などと考え始めると、歴史大河ものは全部アウトになってしまい文化が寂しい。ドラマチックは戦いと恋愛にしか生まれないんだろうか。

 

夕方打ち合わせのために出掛ける。帰宅ラッシュど真ん中で車内がぎゅうぎゅうである。ひとりだったら隙間を縫って身を落ち着ける場所を確保するが、後輩と一緒で何となくそういう好き勝手なことができない。満員電車で他人と接触するのは気にならないが、知っている人と距離が近いのは気まずい。隣人は愛せないが他人のオムツは換えられるみたいな、真理だ。

つい目に入ってしまう他人のグループLINEに申し訳なく思いながら無になってやり過ごす。自分もだけど、賢者みたいな顔をして手元で感情豊かを表すのが奇妙だ。

 

父が急須の蓋を割った。あの急須もこの急須も父が割った。自分で買っていないからか、物に対する愛がない。金継ぎをすると言っているが、個人的にはあれ、品がなく見えて好きじゃないのよな。