仮面福祉会

できることを切り売りしています

それすらも自信がない

母が、袴の着付け手伝いのため、夜明け前に出かけて行った。卒業シーズンである。

その気配を感じつついつも通りしたくし家を出る。訝りながらキルトのインナーのあるコートを羽織るが、結局肌寒くちょうどよいぐらい。

駅に着くと、電光掲示板にいつも乗る電車の表示がない。もしやと思ったが、今日からダイヤが変わったと放送がかかる。毎年あまり影響がないので気にしなかったが、今回はちょっと困る感じの変わり方でどうしようかな。こうした些細な変化にもストレスを感じとり、それを失くすために余念がないところは、選択肢の多い都会暮らしだからこそだなと思う。

休みの隙間で車内は空いていた。

 

毎年送別の準備に使命感を持って取り組む同僚がいる。しかし今年は、退職者のひとりを嫌っているため全然やる気がないらしく、大人がまかさそんな私情をはさむとは。

私は、続けられないなら初めからやらない方がいい、と考えるほうで、サプライズみたいなものに出くわすと、陽の感情よりも、今後どうするんだろう…という心配で胸が一杯になってしまう。そういうことができるのは、堂々と不平等にできる図太さがあるからこそだったのか。

 

夜、ニュースで今の戦争とイラク戦争のことをやっていた。こう見ると、ロシアや中国の言い分もわかるよなと思う。しかし、善悪なぞは立場によって全然違う、という当たり前のこたを改めて確かめるぐらいで悲しい。何か閃ける賢さと力があれば良かった。ただ、戦争は、しかけるほうが絶対悪い。だろう。