仮面福祉会

できることを切り売りしています

存在の影響力

昨夜の帰りがけ、桜が咲いていることに気がついた。

明るくなり改めて見るとまだ半分あるかないかだったが、ついに、と恐ろしさを感じる。ここまでくると、次に気付くのは爆発した時だから。

小学校までの道には昔から桜があり、春に花、その後毛虫がめちゃめちゃ落ちていたものだったが、数年前に多くの木が伐採された。新たに植えられたのはどうやらソメイヨシノでないらしく、咲き始めのエリアと、ただ若く小さな木が植わっているエリアにきっぱり分かれている。日本は、未完成であることにすら趣を見出だせる国だが、流石に景観が雑すぎる。

 

日陰と日向の寒暖差を感じつつ、もりもり歩いてかき氷屋へ行く。初めの店で、建てたばかりの公共施設の匂いがした。かき氷は好きなものしか入っていない構成で嬉しい。

 

新宿に向かい更に歩き、御苑の辺りに差し掛かると、方々の店で行列ができている。餃子屋、中華屋、サブウェイにまで並んでおり、もしやみんな花見なのか。

その後、人と約束をして向かった代々木公園も、フェスかというぐらい賑わい人々が浮かれていた。自分も加わっておいて何だが、春の、人出を促す能力の高さがいちいち恐怖を感じさせる。花粉を無視してまでみなぎる生命力がある。

 

帰宅すると弟がいた。先日までハワイでハネムーンをしており、パイナップルの形をしたクッキーをもらった。何度かもらったことがある定番土産だが、身内から貰うのは何だか感慨深い。我々家族はハワイを旅行先に選ぶ星人ではないので、行くとしたら他人の影響が欠かせない。そういう新たな風が、弟の元に加わったのだな。

そのハネムーン中に弟の友達が自殺した件については、どう考えても触れづらく言及しなかった。しかし母がぐいぐい尋ねるので、それを背後に聞いていた。母は、自身の情緒に気を取られ、相手の情緒に構わない。それが母らしさと言えるんじゃないだろうか。