仮面福祉会

できることを切り売りしています

なかったことを評価する計り

電車で隣り合って座る男女がともに、スリッポンからスニーカーソックスを覗かせている。夫婦だな。

回避された危機を、回避するのに役割を果たしたものは評価されにくい。
ということが書いてある本を読んでいる。わかりみがつよい。回避されなかった危機に対して力を発揮するものたちを英雄視するのはやむを得ないがせめて、何かが起こった後になされたこととその評価がおざなりにしてはならぬと思う。
我々が今やっていることは、何かを助けたり回避する因子になっているかもしれない一方で、悪いものを誘発してもいる。どちらが重いのか評価が必要だが、適切な計りはあるのだろうか。助けて専門家の先生方。

仕事相手で付き合いの長い人から電話で、元気がないねと言われる。元気がないことより、いつもは元気そうに聞こえていたことの方が意外だ。よかった。
一方隣の席の後輩男性の電話を聞いていて、この人は喋り方に感情がないんだな、ということに気付いた。それで何となく威圧的に感じられるのではないか。女性が電話で余所ゆきになるのは100年来のあるあるだが、思えば比較して男の人は、電話で話すトーンが変わるということが少ない気がする。意識的に愛想良くした方がよい、ということに思い当たらないのだろうし、恥ずかしいのか、なめられたくないのかなもしかしたら。来週ちょっと話してみよう。

人と会う約束があり仕事終わりに1時間話す。核心の周りをグルグルする、座った方が敗けのイス取りゲームのようである。なにか致命的なことを見落としているのではという不安が決断を阻害している。