久しぶりにお兄さんと筋トレの日だと準備をしていると、ケガをしたので延期できますかと連絡が入った。風呂場で転んで足を縫ったとかえー何それ痛そうそんなことがあるのか若者よ。
荷物を減らして出掛ける。刺青のお兄さんとバス停で一緒になるのも恒例化している。
おばあさんと買い物。ひとめぼれがなく、ななつぼしを買う。湿潤甘め柔らかめがお好みでないというのがわかる。米にこだわりがないがなるほど思えば私もわりかしパラパラの、というかもはや食べるならタイ米が良い。そういうブーム来ないかな。
インド屋で昼をとり会計をしようとしたところで財布がないことに気付いた。荷物を詰め替えた王道のミスである。キャッシュレスで払うも割引券がないことを悔しがった。
山縣のことと内村のことと良いニュースが続き嬉しがる。勢いのある若者が勝つのも清々しいが、コツコツと競技を続けている人が結実すると救われた気持ちになり本当に嬉しい。一方、今年の春に亡くなったパラ内定選手のことをやっており、運命とは、とありきたりな考えに更ける。
ゲノム編集のことの番組を見る。数字や科学を扱える人々に世の中は救われ、まさに牛耳られつつあるが、その様子は思考停止しているように見える。結果が出ることに注力するのは人文学を論じるよりも全然楽で簡単なことだ。そして人文学は実利が伴わないといって縮小されゆく現実に、暗澹とした。100メートルを100分の1秒早く走ることに注力することとは、影響の規模が違いすぎる。