仮面福祉会

できることを切り売りしています

あなたと私は違うからわからない

キャラづけ、という中高生みたいなことを考えている。
これから1ヶ月程度初めましての人たちと一仕事する予定があるのだが、この前も後ろもないコミュニティでどのようなキャラでいたら、自分がしんどくなく、望ましい関係性を築けるだろうかというのが問題だ。最近は、場を盛り上げようとまんべんなく話かけたりする接待は意味がないからやめていこうという方針だ。かと言ってオフ状態でいると社会性のない人になるので、自分にとってマイナスだ。タメ口のようなフラットな関係性を目指したい。
とりあえずいつもは名字で通すところを名前で主張してみたが、その後は無計画だ。余計なこと言いそうだからあんまりしゃべらんとこう。

上司との雑談で、多国籍子どもが集まったときの出来事を聞いた。簡単に言えば、やりたいならやりたいと主張すべきであるし、やりたいことをするために時には交渉が必要だ、という考え方習慣が日本にはなくて、その他の国にはある。そして、日本で褒められる態度もグローバルでは意味がないし、まして主張する人間を責めるなんてお門違いである。という話だった。
日本はだからダメなんだという話の雰囲気であったが、私はどうも福祉のことを考えすぎて、この手の話にそうですよねと同調できない。察しておくれという日本文化は非合理的だし、主張をして自己も他者も認めるという関係が理想だと思うので、自分自身はそうできるように時に踏ん張る。しかし、主張しないほうが悪いんだと言い放つことは躊躇される。主張できない人に気付いて、できるシチュエーションを作るというのが自分の考えの傾向だから。そういうことする人がいるからむしら自立できないのかな。
日本人の中でしか生活をしたことがないから、外国の空気を全然知らない。キリスト教の隣人愛的なこともありしょぼしょぼしている人を助けるような力もあるし、その辺のバランスが本当に取れているのか、不思議だ。知らねばならない。

上司の主張は論理的に正しいと思うが、ちょっと鋭すぎて傷付くんだよなぁともやもやする。そうかこれも言わなきゃわかんないんだよな・・・むずい。