仮面福祉会

できることを切り売りしています

楽しそうにしてると楽しくなる

感情を込める、ということには本当に意味があるんだろうかと急に真顔で考えた。

ドラマなどで、最後の最後にこの人ずっと嘘ついてたのか!という展開のやつを見ると、ここに至るまで全然何でもない振る舞いができてすごいなと感心してしまうが、というかそもそも全部役者の演技で嘘だ。
とても簡単に騙されるので、少なくとも自分にとっては本物の感情があろうとなかろうと、うまくふりができていれば影響がないのではないかと思う。

勘三郎さんが忠臣蔵の塩冶判官をやる勘九郎に対して、肩をもっと揺らせと声を荒げているシーンをテレビで何度か見た。体でちゃんと表現できれば今日のメシのことを考えてたって役になれるんだ、もちろんメシのことを考えてちゃだめだけど、君はまじめ過ぎるんだよ。というようなことを言われていて、深く納得した。
言い方がとてもよくないが、歌舞伎の型は誰がやってもそれなりに見える、よく練り上げられたマニュアルみたいなものなのだな。
その型をどれぐらい再現できているかとか、そのうえでどのように役者の色が乗ってくるかというところを楽しんでいる。
やってる本人はそこに感情を伴わせたいかもしれないが、見ている方はその違いに気付くだろうか。

ピアノをならっていたころ、優しい気持ちでとか猛々しくとかそういう表現をされるのはわかりやすかったが、それで実際優しい気持ちで弾いているかといえば優しい指使いで弾いていただけだ。書道も気持ちを込めてとかなんとか言われたことがあったような気がするが、まぁつまり集中して丁寧に書けよということだよな。料理に愛情を込めたらうまくなるんだろうか。そりゃ食べさせたい相手がいればそれなりに真剣に作るよな。

ものごとに臨む比喩と演技は事情が別か。

仕事でも、大変でしたねとかそれは辛いですよねとか感情がこもってる風に言ってて実は何も考えてないの、バレてないと思ってるけど実はバレているかもしれない。
悲しそうにしてても悲しくはならないのだ。