仮面福祉会

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親だから偉いの論理破綻

リアル高校生に会うと、自分の高校生の感覚より全然子どもなので戸惑う。
10代半ばぐらいから現在までが地続きな感じがしているが、20年近く経っているのでそれなりに発達してきたんだなと実感する。そりゃそうか。そういうの頭でちゃんとわかってないと間違えそう。

夏祭浪花鑑という演目で「親を睨むと比目魚(ヒラメ)になるぞよ」というセリフがある。とても性格の悪いお舅さんで、婿を挑発した結果殺されるフラグ。
仏教の世界では親殺しは無間地獄落ちと聞いたことがあるが、あと印象的なところで言えばカラマーゾフの兄弟とか。
親に不義理を働く、殺す、ということが他人の殺人以上に責められる様を見たり読んだりしていると、理不尽と思う。親は子をまっとうに育てるもので、子は親に恩がある、という大前提が成立してないから殺すのでしょう。いや、殺しはダメゼッタイだけど。

虚構の世界などで、つらい境遇に陥っている子どもの役などを見ると、そんな親に義理立てすることないから全力で逃げろと思う。
しかし親は親で子どもの時に何かつらい目にあったのかなとか、今現在つらいことがあるのかなとか考え始めると、とりあえず誰か一人を責めるのは無理だなという結論に至ってしまう。いや、犯罪はダメゼッタイだけど。

親になったことがないから無責任に言えるのだけど、子どもに恨まれない親になる自信はない。だって子どもの時の自分と今の自分は、記憶はあっても違う人間になっている。子どもの頃に大人にしてほしかったことを全部思い出すのは不可能だし、覚えていたとしてもその通りには多分できない。

なんか普通のことをもっともらしく言っているな。