仮面福祉会

できることを切り売りしています

何度も疑うが丑年だったから間違いない

愛用の手袋の片方なくしたのが見つかった。
自転車置き場でふと顔をあげたらそこにいた。僥倖。
今日は祖母の命日である。

祖母は関東大震災の1か月後に東京で生まれ、夫を徴兵され(死んでない)、兵庫在住時に阪神淡路大震災にあい、最後にレビー小体性という、当時医者もよく知らなかったような認知症になるという、ちょっと運に波がある人だった。

歌舞伎に連れて行ってくれたのはその祖母だった。
大河ドラマ元禄繚乱七之助を知り、歌舞伎を見てみたいわと頼んだらすぐ、ものすごく良いチケットを取ってくれた。十七代目中村勘三郎十三回忌追善公演の、花道横のスッポン辺りの席で、松虫で踊る七之助が発光して見えた。
仁左衛門俊寛勘九郎勘三郎)の髪結新三。芝翫玉三郎吉右衛門
良過ぎて堕ちた。

そうして年に1、2回中村屋が出るのに連れていってもらうようになり、初めて自分がチケットを取って一緒に行ったのが浅草寺平成中村座。最後に一緒に行ったのが十八代目勘三郎襲名披露公演だった。

歌舞伎の、世代をわたって同じものを見て、それぞれが好きなことを話せるところが大変ありがたいと思う。
好きな役者が死んでしまったりすると絶望的な気分になるが、死んでしまうまでは役者でいてくれることが多いし、子どもや孫の世代が成長して、めぐっていくのを見届ける楽しみもある。

祖母は宝塚も好きで、きらびやかで美しくてマンガみたいな世界に憧れる純粋な人だった。あと、わかりやすくイケメンが好きで、歌舞伎役者なら仁左衛門(いわゆる片岡孝夫)と、当時新之助だった海老蔵も好きだったようだし、認知症初期に一緒に大河ドラマ新選組を見ていたら、オダギリジョーが良い顔だと言っていた。

祖母が亡くなって今日でちょうど10年だ。本当か?本当か。

最後の約6年一緒に住んでいて、その間は中々精神的にハードな在宅介護だったため、思い出すたびに可哀そうだったなと思って、10年経つが、秒で泣ける。
しかし、ベレー帽を被り、ピンク色のブレザーを着てロンドンの衛兵の隣りでポーズを決める祖母の写真を見ていると、宝塚を追っかけたり着道楽をしたりお茶をやったり日本画を描いたり、人生でいい思い出も多分たくさんあったに違いないので、総合的には良かったと本人が思っていることを願うばかりである。