仮面福祉会

できることを切り売りしています

取るに足らない恐怖ばかり

強迫観念にかられて肉じゃがを作った。いい肉を使っておいて申し訳ないが、私が作るものはいつも味がぼんやりしている。味が濃くなることを恐れすぎているのだ。

先日転出していった隣人が土鍋を寄付していったと聞くだに、どこにしまうんだろうかと問いただしてしまった。ありがたがるべきであったところを。
片付けられなくなるのが嫌だが捨てるのも苦手なので、物が増えることに恐怖を覚えている。消耗品でもたくさんあると、早く消費しなければと気が気でない。一方私の母は、ものをもらったり買ったりするのが好きなくせに自分では消費しない人だ。母が注文して送ってもらったリンゴが全然減らないといって実家に帰るたびに持たされている。食べ物について、「欲しい」と「食べたい」がつならず、純粋に「買い与えたい」という欲求しかないらしいのが大変不思議だ。これが母という生き物なのか。そういう心の余裕が羨ましいと思う。でも家はもうちょっと片付けてほしい。

早めに仕事を切り上げて、先日買った液晶モニターを返品すべく郵便局に向かう。持ち込み割引があるのと、手持ちの切手で支払いをしたかったので、でかい箱を自ら担いで明らかに心配な出で立ちでよろよろ商店街を歩いていった。それから先日コーヒーをぶちまけたスニーカーをクリーニングに出す。キレイになって帰ってきておくれとお金を払ってプロに託す。
何で私はこんなにケチくさいんだろうと悲しくなりながら帰り、株価を見ていた。この株を買おうと決意するところまでしたのに、NISA口座の開設がまだだった。焦るな自分よ。