仮面福祉会

できることを切り売りしています

それを妄想と言います

いつもどおり、同居人ぶんの1の足音で目覚める。

にほんごであそぼを見ながら朝ごはん。この番組に出ている子どもたちの加減が好きで、このように作り込まれ過ぎていないがちゃんとした子どもには、どうやったら育てられるのかなと想像する。そういうことを考えたのち、違う私にはその機会はもう訪れないんだったと思い出す。
好きな踊り手さんを見ていて、これぐらい踊れる人になるためには何歳頃からどこに行ったらいいのかなと考えたり、身に付けてるものが素敵な人を見て、こういう人はやはり親の趣味がよいのかなと考えたり、癖になっているので多分、死ぬまでつい想像してはその仮定はあり得ないんだったよ!と突っ込み続けるんだろう。それを妄想と言います。

電車で「育ちの良さは今からでも身に付けられます!」という本の広告を目にして反射でゾッとする。育ちの良さ、っていう定型があって、それが求められる場面があるの。それで「育ちが良くなりたい」と願ってこの本を買う人がいるってことなの。こわいこわい。ああでもそれってこの間私が丸善で本を買ったみたいなことなのかな。昔話ならまだしも、今取り立ててそれが表沙汰になっているということが怖い。人々が多様化を許された結果、逆にそういうことで選別しようとしてるってことか。

世界のコロナ感染拡大こもごもをニュースで目にしたなかに、「何故マスクをしないの!迷惑よ!」と言う店員に対して、客が「私はホワイトパワーを信じてるの」と返すやりとりがあった。主には、人種差別にまでつながってるという視点であり、育ちの良さと同ジャンルのやつだ…とショックを受けるも、加えて店員の勢いもすごいし、それを動画で記録されているという事実も謎で、総じて何がなんだかわからなすぎてコントなのかなと思った。

そういえば今日は電話で、いい歳なんだろうからちゃんと常識を身に付けてから電話口に立てと言われたんだったな。それはこっちの台詞だと喧嘩を買いたかったがグッとこらえた。しかしなんだな私には常識がないのかーそうなのかもなー生きていて理解できないことが多すぎるもの。

コンタクトを差し替えてよく見えるね!と感激したが夕方には曇った。結局。