仮面福祉会

できることを切り売りしています

ただ自分の世界がうまく進まない

変わったり終わったりするの、どうせいつか起こることなら早いうちのほうがダメージが少ないか。少ないかな。そうでもないかも。

4月からの異動先の打ち合わせに参加したが、何となく不機嫌な現場だなぁというのが第一印象であった。よくないなー。
以前配属されていた資金貸付の部署が、パンデミックのあれこれでてんやわんやである、という噂を聞くし、察せられるし、とてもとても手伝いに行きたい。しかし社内でも、自らの仕事で手一杯なので無理です、という姿勢の人も多いことを目の当たりにし、そうなんだなぁと思う。そうなんだなぁと思うだけなのだが、そちら側の人が善意のつもりで私のやりたさを阻害してくるのが嫌だ。

同居人のひとりが、人を心配したり同情したりするあまり、何もできない自分を責められている気分になるのだということを言っていた。それはきっと反射だろうから、コントロールするのは難しかろうねという話をした。例えば福祉の仕事をしていて、こんな境遇にあるのだとかこんな障害病気を持っているのだと打ち明けられた時に、私は認知をするだけで感情に影響が及ばないほうだが、その子は揺さぶられてしまうということなんだろう。コントロールできないことを悔やんでも仕方がないので、向き不向きの問題だねということで落ち着く。
自分と違う仕組みで生きてる人がいるということは、他人とコミュニケーションを取らないと知り得ないことで、知っていれば共感はできなくても理解はできることが増えるので、ありがたいなぁ。

なぜそのような態度でいられるのかと訊かれて考えたが、私の周りには、心配しないといけないような人があんまりいなかったからではないか。私がどうこうするしないに関わらず、私の知る限りの世界はうまいこと進んでいた。運がよかったんだなぁとしみじみ思うが、そうでない人への同情心はわかないという構造になっている。ただ、そういう人がいる、ということを認知している。