仮面福祉会

できることを切り売りしています

小さかろうが存在する断絶

永遠に終わらないのではと感じられる委嘱状づくり。あんまりにも誤りが見つかり続けるのでマジでちょっと泣きそうになった。10年以上社会人やっててこんなことでやり直し繰り返すのつらいし、この歳でこんなことでつらがっているのが辛い。

明日の自分のために残業をして生産性のないことをやってから、東日本大震災の被災者の話を聴く催しに出かける。
当時子どもだった人たちが登壇しており、8年経った今だから話せる、というテーマであったのだが、自分にとって震災の話は何年経っても聴けば鋭利だ。加えて大きすぎる過酷な体験をした子どもと、周辺で気に病みながらも見ていただけの自分とがあまりに違い過ぎて、どうしたらいいんだろうと正解が見えない。多分互いに答えを持っていない。
風化する社会と、8年経っても止まったままの感覚との距離がどんどん広まっていく、ということを1つポイントにしたかったのだろうと思われたが、「風化」がどういうことなのかも私はわからない。今でも8年前のままの人や場所があることや、立ち直りつつある人の被災の傷や、いつか災害がまたあることなどを、忘れずにいるということだろうか。少なくとも、いつも意識しておく、ということではないよな。

ある意味暴力的な話を聴き、被災はしていないがそうだ自分も8年前からそれなりに悲しいんだと思い出す。その結果の一つが終わらない委嘱状づくりかと思うと、こういう苦しみもあるもんなんだなとある意味感心する。