仮面福祉会

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土着の風習がゆっくりと市民権を得る

両親が祖母の家に行く準備をしている。先日の納骨もそうであったが事前に言ってくれたら私も行くのだかなと残念。そもそもカウントに入っていないのでしょうがない。しょうがないと思う程度のうちはしょうがない。

いつもどおりおばあさんと買い物。節分だからと目刺しをカゴに入れていて、その文化、知らんな。柊鰯も昨年おばあさんから仕入れた知識だが、節分にそんな硬派な風習があるとはなと情緒を感じる。

お昼にケンタッキーに入る。昼時はいつも店の外まで列ができて競りのような活気があるが、店員さんたちは丁寧で愛想よく感心する。何のモチベーションでがんばれるのだろう。

それからお兄さんと筋トレの日。話を合わせてくれるのをよいことに、生活保護の説明をした。そういえばこの間は母に福祉事務所ことを訊かれたが、かほどに制度として気にされたことがかつてあったろうか。これを機にうまいこと回る使い方がされるようになるとよいと思う。

帰宅し、祖母に電話をする。それなりに規則正しく生活をして元気そうだが、人と話す機会が減ったとこぼしていた。いつでも電話をくれと伝える。
祖父の骨はなくなったが相変わらずピアノが仏壇化しており、好きな食べ物とお茶が供えられていたとのこと。
昨日が祖父の誕生日であった。