仮面福祉会

できることを切り売りしています

よさの指針

ぼんやりしていてエンジンがかからない月曜。電話が少ないような気もして、考える隙ができると生理現象がうっとおしくて仕方がない。業務時間内は時間が気にならないぐらいぎゅうぎゅうに何かやり続けていたい。

黙っていればいいのによく考えないで余計なことばかり言ってしまう。

先日、もはやこれは余生なのではと思って以来、つくづく余生の感じがしている。
意識が確かになって以来ずっと、自分の家族を持ち子育てをする人生を送るものだと思い込んで生きてきたが、それをやらないことになった今や、他に生き物として片付けるべきタスクがない。となるとあとは生命維持ぐらいしかやることがない。これが余生でなくて何であろうか。
苦しんで死なないために日常で気を付けていきたい。

昨日のお習字をやってくれた同居人に、書いたものを見せてもらった。話しているうちに、根本的に美意識が違うのではという予想外の着地点に降りた。
どうも、簡単に言えば、レタリング的な字がかっこいいと感じているらしく、それじゃあ私の言ってることの意味がわからないよなと得心した。書道で前提が擦り合ってない可能性については考えてなかったので、これが気付きを得るというやつだな。
自分は自分の先生の字がベースになので、キレキレで緩急メリハリのある筆使いの字がかっこいいなーと思っている。教科書的にも良しとされる書き方があるはずだが、余暇活動でそこ無理に擦り合わせる必要性を感じないので、今度からは形の話に専念しようかな。

ついに買えた肉で鶏ハムを作れたので安心して1週間生きてゆける。