仮面福祉会

できることを切り売りしています

永遠の十代

昨日のラーメンでまだお腹が減らない。これが慢性胃炎だろうか。
ちょうど区民健診で胃がんハイリスク診断が受けられるとお知らせがあったから、受けてみようと病院を検索し、目星をつけた。今更ピロリということもなかろうが、ピロリじゃなかったら何なのかな。

とかいいながら、昼はかき氷に行ってしまう、業である。
このレッドオーシャン時期において、さほど待たずにありつける貴重な店だから、いつまでも見付からずにいてほしい。

隣り駅まで歩き、無印で給水をし、商業施設のベンチで時間をこなしてから、祖母の病院に面会へ。
着くと看護師さんがオムツかえをしているところで、待つ。ようやく入ってしばらくすると、叔母が来た。いやさ、時間が被らないように、わざわざ予定確認して来たのに、聞いてたより1時間早く来るとか。正味15分ぐらいしか話せず引き上げる。
環境がそうさせるのだろう、祖母は看護師さんに全権を委ね、自身でできそうなこともせずにいる。そうしながら家に帰るつもりでいるから、困ったことだ。病院の処置において、本人の能力を削がない方法を取れないのかな。

銀座に向かい、歌舞伎の夜の部へ。京極夏彦脚本で、歌舞伎座前でぬい撮りをしている人がおり、ファンよ、と感心する。
思春期に通りがちなミステリー界隈が琴線に触れず、大人になった。大人になってから京極氏に触れることには全く期待しないどころか、警戒すらして来た。それは案の定だったし、そもそも小説家に脚本書かせること自体、無理が有り余る。私が歌舞伎に求める、体の表現がほとんどなく、ミステリーの仕掛けと説教めいた長ゼリフがただただ続いて、だるい。その説明を視覚で表現してこその舞台芸術では。
一面の彼岸花(を、曼殊沙華とか地獄花とか幽霊花だとか火事花だとか、いう)、女だと思ったら美しい男だった、手籠めにされ座敷牢に監禁される、などなど押し寄せるラノベ設定に、私が感化されたティーンだったら感動したのかもしれないが、無理すぎて帰りたい。しかし、不幸中の幸いにも、昨日今日と飽きるぐらい寝たから全然眠くすらならず、がっつり見届けてしまった。
近年の新作は、練られ切らずに取って出しみたいに感じるものばかりだ。やってる役者たちはどう思ってるのか、忖度なしでぜひ聞いてみたい。

久しぶりに、夜の銀座を歩く。目抜き通りに改造バイクが停まり、ビカビカ光りながらオラオラ系の音楽を爆音で流している。その後ろを、スポーツカーがでかいエンジン音をたてて走っていった。
銀座って、こういう所になったのか。

夜、地震。怖い。