仮面福祉会

できることを切り売りしています

野生の勘を無視すべからず

午前休を実現。

献血をしようか仕事をしようかと前夜あれこれ悩んだが、もうひたすらに寝ることにする。だが、いつもの目覚ましぐらいの時間に目覚めた。

何か朝食をと冷蔵庫を捜索すると、いつやったか忘れた鍋の残りが、鶏から出るゼラチン質により固まった状態で発見された。

食べられるかな。

レンジで加熱し、ひとつひとつの具材を確かめながら咀嚼してゆき、結局完食した。ダメな味やにおいはしなかったから、大丈夫だろう。

少し前にニュースになっていた、弁当やお菓子の集団食あたりで「納豆のようなにおいがした」とか「糸を引いていた」とかいうコメントを聞いた記憶がある。お金を得て傷んだものを提供するなんて論外だというのは前提だが、それでも食べてしまうのか、と思ったものである。食に関しての生物としての勘は、科学的知見よりも優先したほうがいい。

お腹壊したらそのとき反省しよう。

 

寝ると決めたから二度寝をし、だらだら断続的に夢を見る。大体が、気がかりなことにまつわる内容である。実家に住みながら実は賃貸契約をしていた、という内容の夢になぜか、起きてからも本当かもしれないと思わされていた。そんなわけない。

 

ぼちぼち出かけ、かき氷を食べる。紫芋は正義であると、喜びを噛みしめた。

 

30分以上早く職場に着き、さっそくあれこれ頼まれごとがやってくる。心づもりはしていたが、14時から始業と書いてあるのに配慮してくれてもいいじゃないかとイラだつ。なら、ギリギリに来いである。

封筒の呪いは確実から更に上乗せされ、自身のダメぶりが極まり完結した。

 

数日前に、母の知人から譲り受けた、美術館の年末までの招待券を、職場のタイムカードの辺りに置いておいた。見ると全てなくなっており、嬉しい。この先の土日はそう何日もないから、現地でばったり会う同僚たちがいるかもしれない。知らない所で他人に生活をちょっとだけ左右している。