仮面福祉会

できることを切り売りしています

思い込みの私

冬に新しくなったエアコンの「みはっておやすみ」という機能を使ってみる。機械が動く音で目が覚めると、エアコン的にアウトな室温になってたんだなと、不快感を保証されたようで心強い。この時期にエアコンを使うことには多少の後ろめたさがあるから。

 

昨夜アレルギーの薬を飲んだせいか、起きてからひたすらに眠い。眠いなら目覚めなければ良いのに切れ切れに覚醒するから謎だ。

布団に執着しながら体を起こし、新築マンションの説明をオンラインで聞く。不動産屋の担当が新卒さんで、というのもわざわざ自己紹介をしてきてわかったことだが、そんな情報知りたかないけどな、と思う。示されたプロフィールに書かれていた趣味などが、不動産屋らしく生命力に溢れてるっぽいのも何か嫌だ。

がっちり浸水エリアだったので、残念だけどないかな、と思う。

 

敷布団のカバーを買いたくてニトリに行くも、ちょうど良いものが売っていない。以前買っていた無印にも扱いがなくなったし、需要のなさを思い知らされる。需要がないと価格が上がる。デパートの寝具売り場で見たら、以前見たときより1~2千円高い気がする。そんな値上げ幅ありなのか。世知辛すぎる。

ネットで探して程々の価格のやつを買った。

 

資本主義と貧困の本を読み始める。導入で、仕事時間を減らし、自由時間を増やすのを理想とします、という前提の説明があった。「仕事がないと何をして良いかわからない、と言う人がいますが、それは仕事に力を吸い取られているからであって、十分な自由時間があれば、生き甲斐になる仕事以外のことができるはずです」というようなことが書いてあった。なるほど、そうかもしれない。私も仕事がなかったら、今は面倒に感じている行為に喜びを見出だす人間になるかもしれない。

 

洗面所を使うたびに、人の落とした髪をせっせと拾っている。かつて母に、使った後は綺麗にしなさいと言われた気がするのだ。同じように、子どもの頃言われた小言を、言った母自身が守っていないことがちょくちょくある。肘をついて食べるし、食事中に立ち歩くしスマホを触るし、中途半端に残す。食事のことばかりだな。母自身が作ってるから意識が低いんだろうか。そうかもしれない。