仮面福祉会

できることを切り売りしています

低い意識のことばかり

玄関に、ザルいっぱいの杏の実が置かれている。庭と言えるようなもののない家だが、果樹が何種類か植わっている。私はそれらにとんと無頓着で、毎年のことなのに実のなる季節を把握していない。花が咲く後なのだから、春か夏なのだろう。

近所のあちこちに何かしらの実が落ちているのに気付いているが、それが梅なのか杏なのか琵琶なのか、確かめもせず毎日ぼんやり通りすぎている。俳句でもやっていれば、こういう季節の機微を拾う生活をするのかもしれない。文化は豊かをつくる。

丹精込めてものを作ったり育てたりすることに、おおよそ向いていない自覚がある。めんどうくさくてすぐにショートカットしたくなる。

社会のことを考えるとき、大豆か小麦農家になる未来を想像したりする。が、農業の知識以前に、人格形成からやり直す必要があり、どう考えても無理がある。

家でトマトを育てるぐらいなら始められるかな。

 

事務所で、後ろに座る人々の島に、たまたま似たような女性陣が集まっている。昼休みに聞こえてくる会話によると、どうやら最近、健康的な運動ダイエットが流行っているらしく、健全に爽やかでとても良い。自身のためにやることは全て秘していたい私にとっては、ああやってオープンでいられることがまず真っ当に思われ好ましい。

ただし、この距離感が保たれる限りは。

 

仕事をお願いしている業者さんの、偉い人が急に、この度は大きな取引ありがとうございます、と言うだけのためにやってきた。雑談としか言い様のない話を一頻りして帰っていったが、一般企業の営業とはこういうものかと驚く。一見無意味だが、このマメさを仕事のクオリティに結び付ける思考は実際あるので、必要なことなのだろうな。それに、踵を減らしてナンボと考える客が多少でもいる限り、止め難かろう。

私にも、外回りをする未来があるかもしれないので、覚えておこう。

 

昨日打ち合わせで会った業者の人が、コロナでしたと連絡がある。5類になって以来すっかりマスクを外して生きているので、感染ったかしら…と、徐にマスクをつけて、何かあったと体現しているようなものになる。久しぶりにつけたマスクは苦しくて顔がかゆくて煩わしくて仕事が全然捗らない。ほんのひと月前まで日常だったのに、慣れってすごい。