仮面福祉会

できることを切り売りしています

家庭の構成員

食卓におかれたクリアファイルに、食料品を買ったレシートが何枚か挟まれている。クリスマスから年末年始、鶏を焼いたと思えば、おせちの仕込みに入る、母がおそらく年に一度、ナーバスに段取りをする期間である。八百屋のレシートに大根、大根、と二行で書かれているのもおそらく、正月料理用なんだろう。これには毎年肩身の狭い心持ちになるので、休みの間のことを考えると少し憂鬱だ。

仕事は金のために勝手にやっていることだが、家事は全く家庭のためで、家族の構成員としては必ずやらねばならない。でも、面倒くさい、めんどうくさい。仕事が忙しい時に労われるのを申し訳なく感じるのは、その間代わりに誰かが人の営みを担ってくれているからだ。これで誰かを養ってでもいれば別だが、私の仕事なんて自信には娯楽、周りには無意味で迷惑でしかない。

 

そうはいいながら職場でやることがあるのてでその責任は果たす。

上司不在のなか、業者さんのミスへの対応に神経を磨り減らす日。関係機関の偉い人にやいやい言われ、せめて私に主任ぐらいの肩書きがあれば諦めがつくのに、と思う。気持ちの問題だが気持ちの問題でしかない仕事が存在する。

 

なかなか進まなかった三島由紀夫の豊穣の海三巻を読み終えた。前の巻と全然違い時間の幅が広く、急に本多が出張ったうえに成金エロ親父と化して戸惑う。歳を取るというのは、こんなに醜いことでしょうか。急に異国描写となり、膨大な仏教講釈が挟まり、どう捉えていいのかわからない。何が書きたかったんだろうか、時代背景などもあろうから研究のし甲斐がありそうで、わからなさを楽しむのもいいが、流石に捗らなかった。

 

寝る前にマンガを読んだりするがすぐに眠くなる。健全である。