仮面福祉会

できることを切り売りしています

惰性による苦行

サッカーの結果を確認し、そうか、と思う。

興味がある、とはどういう感じをいうのだろうと、自分の心持ちと照らし合わせて考えてしまう。こういうことは掘り下げ始めると見えない装飾が落とされつまらなくなる。

 

電車の混む混むとぼやいていたが、車両を変えればいいと思い至った。案の定押し合い圧し合い程ではなくなり余裕ができる。

人に仕事を頼むのにパソコン操作を横で見守っていると、クリックで良いとこをダブルクリックする人にたびたび会う。どう説明すればいいのかとっさに思い付かないし、今したい説明は仕事のことだから野放しにしていて、いつまでも私のフラストレーションが募る。

ほんの少しの手当てを思い付かず、悪戯につらさを我慢することがあるなと思う。

 

トラブルを目白押しながら仕事。何もかもがうまくいっていないことがわかり投げやりな気持ちになる。

 

ラグビーが開幕し、行こうかとスケジュールを見るとクリスマスだ。イッセー尾形の一人芝居の広告を見て興味を抱くがこれもクリスマス。ただのスケジュールなのに、いちいちクリスマスだな、と思わせるのが12月である。どちらもホーリーナイトにはわざとらしいほどに渋すぎるが、これぐらいの選択でないと素直に楽しさ受け入れられないのである。

 

部屋の暖房をつけるが全然暖かくならない。