仮面福祉会

できることを切り売りしています

殺すしかないとしか思えない

いつものバスがガラガラでどうしたことだろう。座席につくとすぐに眠くなる。バスが空いている一方で、駅前は活気づいて人であふれている。選挙活動をしているらしい。最近続いていた他国の大統領選などのニュースを見ていると、どこもフェスみたいな盛り上がり方をしていて不思議でならない。しかし駅前の様子を眺めてみるに、陣営の人々は揃いのスタジャンを着るなどして楽しそうで、フェスのメンタルでいるのかもしれない。そして他国でも同じように、群衆に加わらずに冷めた目で見ている多数がいるのかもしれない。

 

家に人がいない隙を狙って、野田版歌舞伎の「桜の森の満開の下」を見る。七之助サイコパス彼女が嵌まりすぎて素晴らしいのだけど、内容的に中2っぽいところがあり見るときのコンディションを選ぶ。あと、野田秀樹たる言葉遊びで混ぜっかえされ続けるのもコンディションを選ぶ。最後の幕辺りで父が帰ってきて、夜長姫が殺されるところに「そういう話なの?」と半笑い茶々を入れられたので仕舞いとする。

 

借りてきた本で、女であると、正しいこととして殺害される確率がめちゃめちゃに上がる文化の話を読む。このような部落に比べれば私の置かれている状況など天国以外の何物でもなくて、あれこれ暗澹としているのが申し訳なくなる。がしかし、あちらの問題とこちらの問題は独立しており、申し訳ながる必要はないとも考えていて折り合いがつかない。

愛について様々な視点から論理化していく内容で、興味深くはあった。しかし、曖昧で感覚的なものを言葉にする過程で、単純化され狭義的になる、ということも感じた。この辺りが文学でしか表現できない領域なのだろうと思う。

そう、引き続き私は愛について勉強しているのです。