仮面福祉会

できることを切り売りしています

にじみ出る自分軸

手持ちの本を読み終わったので図書館に行かねばならない。巻数の多いものは面倒だし、女性が主役の現代小説は辛くなることが多い。内省がメインのものもしんどい。人が死ぬのもキツいし、汚いのも嫌だ。それで最近森見登美彦かエッセイぐらいしか読めなくなって、何かいい本はないですかと父に助言を求めた。

どうやら父が10代の頃祖父は本屋だったらしく、本が読み放題だったのだと父は時々自慢げにする。それ、自慢になるのかなと謎だが、そういうわけか父も祖父も本をよく読む。私は読むが、すぐにしんどくなるし眠くなる。

恩田陸はどうかと提案があったので明日借りに行こう。

 

仕事、午後にオンラインで全国向説明会を受ける。聞きながらその場で同僚と疑問を共有できるし、質問をするハードルがリアルよりも低い。資料も即興で共有してくれるし、グループワークの伴わない集まりは未来永劫このかたちにしてほしい。

都道府県の違いが浮き彫りになった2時間であった。

 

帰宅すると母しかいなかったので、改めて弟の結婚について話を聞いた。

結婚話が出たのと同時期に伯父の具合が悪くなり、結局亡くなったということがあった。偶々タイミングが重なっただけだが、母の中で、息子の結婚よりも親兄弟との死別の方が、気持ちをやる割合が重いとわかった。どちらの経験もないので全くイメージができないが、慶事を弔事に寄せて結び付けられるのは嫌だなと思う。例えば、生きていたら喜んだでしょう、と言われるときは多分、生きていた場合の実際の喜びより、くさくてベッタリしたものが盛られて肥大化している。

あと、全部事後連絡だとぼやいていたのが気になる。彼女がいるとかプロポーズするつもりだとか、いい大人がいちいち親に報告すると思っているんだろうか。いるみたいだな。それって普通なのかな。別に母に何を思われても構わないが、そら恐ろしい。

 

心の中の整くんが降りてくる。