仮面福祉会

できることを切り売りしています

後ろめたさだより

クリアに夢を覚えている。
ものすごい重力を感じながら起きた。雨が降り、肌寒い。昨日まで起きしなトマトにスイカにグレープフルーツなど水気の多いものを求めていたが、嘘のように欲求が収まっていて動物性を感じる。

長靴を下ろした。履き心地は悪くなく、買い物に失敗しなかったことに安心した。多分滑らない仕様になっているのに無意識で慎重に歩いてしまう。

同業者を数名呼んでの打ち合わせの日。テーマとなることとは別に、この間大変な思いをしていることを言い合い盛り上がり、共有したいんだなということがよくわかった。
その中で、濃厚接触者であるのを隠して検査も受けず窓口に来る人の話を聞く。考えてみれば隔離といっても拘束も監視も保障もされないのだから、無理もないことだ。これが感染経路不明ということなんだな。省みれば国の仕組みは、悉く人の道徳に立脚していることがわかる。本能的に人間は、自分ではなく社会の維持を優先するもんなんだろうか。

チーム内でどうも持て余されがちな職員を自分の隣に置くことにする。周りの職員からあれこれ愚痴を聞かされるよりマシだから。しかしその職員は若くして既に人の親で、自分の父親が職場でこんな風に評価されてたらと想像すると悲しい気持ちになる。どうしてあげたらいいんだ。

今いる地域に越してきてから30年経つ。ぼてぼて歩いていると、ほとんどの建物が建て変わっていることがわかる。
記憶がない頃から毎年のように通い続けていた長野の山荘が、今年度末でなくなると聞く。
たかだか3、40年生きていてこれである。山とか海とかにでも記憶を結び付けておかないと、今後何も思い出せなくなるのではないかとそら恐ろしくなる。祖父が90の時に同行した生家訪問を思い出した。ものすごく稀有なことであったな。